トレーディングカードゲーム(TCG)業界において、西の聖地とも呼ばれた兵庫県姫路市の「遊楽舎」。そのヒストリーの幕引きとなる閉店に伴う在庫処分動画が、なぜこれほどまでに大きな批判を呼び、炎上騒動へと発展したのか。
事の発端は、YouTuberでありカードショップ経営者でもある「トモハッピー」氏が、遊楽舎の在庫に対して放った言葉にあるとされる。長年愛された店舗への敬意と、ビジネスとしてのシビアな視点。この二つが衝突した時、視聴者の感情は大きく揺れ動いた。
本稿では、騒動の経緯を整理し、専門用語を噛み砕きながら、何が問題だったのか、そしてどうすれば防げたのかを客観的に分析していく。
騒動の主役たち:スペック表と立ち位置の違い
まずは、この騒動の中心人物と店舗について、それぞれの特徴を比較整理する。彼らのスタンスの違いを理解することが、炎上の本質を知る近道となる。
【比較スペック表】トモハッピー vs 遊楽舎
| 項目 | トモハッピー(トモヒロ氏) | 遊楽舎(店長) |
|---|---|---|
| 主な活動 | カードショップ経営、YouTuber、投資家 | ゲームセンター・カードショップ運営、YouTuber |
| ビジネススタイル | 合理性・利益率・回転率を最重視 | 地域密着・ファンとの交流・「楽しさ」重視 |
| 動画の芸風 | 歯に衣着せぬ物言い、ヒール(悪役)演義 | 人情味、自虐ネタ、ヒカル氏との掛け合い |
| 業界での立ち位置 | 新興勢力、ビジネスライクな改革者 | 老舗、サブカルチャーの体現者 |
| 今回の役割 | 閉店在庫の買取査定・コンサルティング(自称) | 閉店に伴う在庫整理・思い出の共有 |
初心者向け用語解説
本記事を読み進めるにあたり、頻出する専門用語をここで解説しておく。
- TCG(トレーディングカードゲーム): ポケモンカードや遊戯王など、収集と対戦を目的としたカードゲームの総称。
- オリパ(オリジナルパック): メーカー公式のパックではなく、ショップや個人が独自にカードを組み合わせて販売するパック。射幸性が高く、優良店のオリパは人気がある。
- 在庫処分(ざいこしょぶん): 売れ残った商品を安値で売ったり、廃棄したりすること。経営上は「現金化」を意味するが、ファンにとっては「お宝の放出」でもある。
- 炎上(えんじょう): インターネット上で特定の言動に対して批判が殺到し、収拾がつかなくなる状態。
第1章:騒動の経緯と「ゴミ」発言の衝撃
事実は小説よりも奇なりと言うが、今回の騒動は極めて現代的な「価値観の相違」から生まれた悲劇である。
閉店する名店への訪問
遊楽舎は建物の老朽化による立ち退きのため、現店舗での営業を終了することとなった。そこへトモハッピー氏が訪れ、大量に残された在庫(カードやグッズ)をどう処理するかという動画企画が持ち上がった。本来であれば、同業者による助け合いや、名店へのリスペクトが込められたコラボレーションになるはずだった。
決定的な一言とその文脈
動画内で問題視されたのは、トモハッピー氏が遊楽舎の膨大な在庫(一部売れ残りや整理されていないもの)を見た際のリアクションである。「ゴミ」という表現、あるいはそれに準ずる「価値がない」と切り捨てるような態度が、長年その店を愛してきたファンや、人生をかけて店を守ってきた店長の逆鱗に触れた。
ビジネスの視点だけで見れば、長期間動いていない在庫は「負債」であり、処分コストがかかる「ゴミ」に近い存在かもしれない。しかし、そこには店長が積み上げてきた歴史や、かつて子供たちが遊んだ記憶が詰まっている。トモハッピー氏は「経営コンサルタント」のような目線で合理性を説いたが、視聴者が求めていたのは「葬儀への参列者」としての礼儀だったのだ。
ネット上の反応とレビューまとめ
この動画が公開されるやいなや、SNSやコメント欄は批判で溢れかえった。主な意見をカテゴリー別に整理する。
批判的な意見(全体の大多数)
- 「閉店する店に対して敬意がなさすぎる」
- 「言い方が酷い。店長の気持ちを考えていない」
- 「合理性だけで人の思い出を踏みにじっている」
- 「エンタメとして成立していない、ただの不快な映像」
擁護・理解を示す意見(少数派)
- 「経営者としては正論。不良在庫は店を潰す原因になる」
- 「トモハッピーはあくまでヒール役を演じているだけではないか」
- 「きれいごとだけでは片付けられないのが閉店処理の現実」
第2章:トモハッピーの「落ち度」とは何だったのか
なぜここまで拗れてしまったのか。単なる言葉の選び方ミスでは済まされない、構造的な「落ち度」を分析する。
1. 「TPO」の完全な誤読
Time(時)、Place(場所)、Occasion(場合)。このTPOの判断ミスが致命的であった。 通常の「店舗コンサル企画」や「ダメ出し企画」であれば、彼の辛辣な言葉はエンターテインメントとして機能した可能性がある。しかし、今回は「閉店」という、店主にとってもファンにとってもセンチメンタルな場面であった。葬式で「この祭壇、コスパ悪いですね」と言ってはいけないのと同様に、感情的な配慮が求められる場面で、冷徹な計算機を持ち出してしまったことが最大の落ち度である。
2. 「対等性」の欠如
コラボレーション動画において、もっとも重要なのは相手へのリスペクトである。しかし、動画の構図は「教えるトモハッピー」対「教えられる(怒られる)遊楽舎」という上下関係に見えてしまった。 遊楽舎の店長は業界の先輩であり、多くのファンを持つカリスマである。その相手に対し、あたかも「経営失敗者」であるかのように振る舞い、上から目線で在庫を断じた態度は、多くの視聴者に不快感を与えた。
3. キャラクター設定の暴走
トモハッピー氏は過去の番組出演(『令和の虎』など)の影響もあり、理詰めで相手を追い込むキャラクターが定着していた。彼自身、その期待に応えようとした節がある。しかし、毒舌キャラやヒール役は「愛」や「信頼関係」がベースにあって初めて成立する高度な芸当だ。今回の場合、相手のテリトリー(遊楽舎)で、相手の宝物(商品)を貶す行為は、キャラ設定を超えた「侮辱」と受け取られてしまった。
第3章:炎上を回避するための「3つのIF」
時計の針を戻すことはできないが、もし彼がこうしていれば炎上は回避できた、あるいは最小限に抑えられたというポイントがある。
もし「事前調整」を徹底していれば
動画撮影の前に、店長と綿密な打ち合わせを行うべきだった。「今回はあえて厳しく言いますよ」「ヒール役でいきますが大丈夫ですか?」というコンセンサスが取れていれば、店長のリアクションも変わり、動画のオチも「厳しいけど愛がある」という着地点を見つけられたはずだ。炎上の多くは、演者間の温度差が視聴者に伝わることで発生する。
もし「主語」を変えていれば
「この在庫はゴミだ」ではなく、「経営的な視点で見ると、この在庫を抱え続けるのはリスクが高い」と言い換えるだけで印象は大きく変わる。対象を「物(商品)」そのものの価値否定にするのではなく、「経営判断」としての難しさにフォーカスすれば、ビジネスマンとしての知見として受け入れられただろう。
もし「編集権」を相手に委ねていれば
センシティブな内容を含む場合、公開前に相手側に動画を確認してもらい、不快な部分があればカットする権利を渡すべきだった。遊楽舎側が「これはファンが悲しむからNG」と判断できれば、あの発言が世に出ることはなかった。編集によるリスク管理の甘さが露呈した形だ。
第4章:ここからの復帰プロセスと再生への道
信頼は失うのは一瞬だが、取り戻すには長い時間がかかる。トモハッピー氏がこの状況から復帰し、再び支持を得るためにはどのようなプロセスが必要か。
1. 弁解なき謝罪と「学習」の姿勢
まずは、言い訳を一切排除した謝罪が必要不可欠だ。「盛り上げようと思った」「ビジネスの真実を伝えたかった」といった動機の自分語りは、火に油を注ぐだけである。「相手を傷つけた」という事実に対してのみ頭を下げ、何を反省し、今後どう変えるかを具体的に示す姿勢が求められる。
2. 「聞き手」へのスタイル転換
これまでの「教える」「切る」というスタイルから、一時的にでも「聞く」「学ぶ」というスタイルへ転換することが有効だ。他店の苦労を聞く、ファンの思い出を聞くなど、謙虚な姿勢を見せることで、傲慢なイメージを払拭していく必要がある。特にTCG業界は「好き」で繋がっているコミュニティが強固なため、ビジネス色を薄め、純粋なカード愛を再確認するようなコンテンツが共感を呼ぶだろう。
3. 具体的な貢献活動
言葉だけでなく、行動で示すことも重要だ。例えば、今回のような閉店店舗の在庫整理をボランティアで手伝う、あるいは業界全体の活性化につながるような裏方の支援を行うなど、利益度外視の活動を継続的に行うことでしか、「金に汚い」というレッテルは剥がれない。
4. 時間による解決と一貫性
もっとも苦しいが、特効薬はない。批判を受け止めながらも活動を継続し、同じ過ちを繰り返さない「一貫性」を見せ続けること。半年、1年と誠実な対応を積み重ねることで、ようやく「あの時は酷かったが、変わったな」という評価が得られるようになる。
まとめ:ビジネスと情熱の狭間で
今回の遊楽舎とトモハッピー氏の騒動は、単なるYouTuber同士の喧嘩ではない。「効率化・合理化」という現代ビジネスの正義と、「思い出・愛着」という人間本来の感情が衝突した象徴的な出来事であった。
トモハッピー氏の指摘した在庫管理の重要性は、経営論としては間違っていないかもしれない。しかし、商売とは「人」相手に行うものである以上、人の心を無視した正論は、時に暴論となる。
この教訓は、情報発信を行うすべての人間に突き刺さる。画面の向こうには生身の人間がいる。その当たり前の事実を忘れた時、誰しもが炎上の当事者になり得るのだ。




